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安富地域の歴史と沿革

安富地域の歴史と沿革についてご紹介します。

播磨国風土記の伝承

播磨国風土記に見える安富町の記述

播磨国風土記に記載された安富地域のくだり(読み下し)

 

安富事務所ロビーに設置しているこの陶壁は『播磨国風土記』宍禾郡安師里(しさわのこほりあなしのさと)の条を、原本「三条西家本」の文字そのままに製作してあります。

 

古代に遡る安富の歴史

 風土記は奈良時代の初め、和銅六年(713年)に諸国へ編集を命じましたが、現在残っているのは五ヵ国に過ぎません。そのひとつ『播磨国風土記』は、江戸時代の末に三条西家に伝来するのがわかって、世に知られました。平安中期の写本で、達筆ですが、筆の運びが早く、やや粗雑で、写しちがいもあります。播磨国庁に保管されていた、編集中の未完成本の写しだろうとされています。現在は国宝に指定され、天理大学附属図書館が所蔵しています。

 

 郡名・里名・里内地名について、地名の起源を語っているのが特色ですが、古くからの伝承を載せ、また史実を伝えています。

 酒(須)加の里は、現在の宍粟市山崎町須賀沢を中心にした、安富町域より広い範囲の里でした。ところが、大化の改新で地方行政にも変革があり、山部三馬(やまべのみうま)が里長に任じられ、山守の里と改名しました。山部は山守部(やまもりべ)ともいって、山の産物を朝廷へ奉るのが任務でした。平城宮跡出土の「山守里 山部加之ツ支(かしつき)」と書いた木簡(もっかん:この場合は荷札)もあって史実であります。中央で勢力のあった山部連(やまべのむらじ)の管理する里でした。

 

 風土記の編集に当って、再び安師の里と改名しました。安師比売の神は、もとは土地の女性神であったところへ、大和の穴師兵主神を分けて祀ったと考えられ、三森安志姫神社に祀ってあります。伊和の大神は風土記で最も活躍する出雲系の神で、播磨を占拠しますが、大和朝廷に国をゆずって、本拠地宍禾郡へしりぞきました。伊和の大神を祀ったのが、播磨一の宮、伊和神社です。この婚姻説話は、伊和の大神の土地占拠、農業用水の奪いあいを反映し、安師川(林田川)が古くから水の少ない川として知られていたので、このような説話が生れたのです。

 

 このように、『播磨国風土記』の地名起源説話は、古代の安富町のすがたを今に伝えています。

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